高1ギャップか? 高1チャンスか?

 私は〇〇中学校の出身です。3年間、愉快な仲間と共に、優しい先生方に支えられ、楽しい中学校生活を送ることができました。でも、今から考えると、調子に乗っていた時期がありました。好きなことを言い、勝手なことをしていた時を、軽い胸の痛みと共に思い出します。
 高校に入学してすぐに、その上っ調子が失われました。これまで出遭ったことのないような人やできごとに出遭い続けたからです。理数系に信じられない能力を発揮するAさん、勉強そっちのけで特技の世界に没頭するBさん、家庭学習をしなくても授業だけで学習内容を身に付ける憎たらしいほど完璧なCさん、体格は小さくとも野球部で監督のノックを最後まで受け続けたDさん、初めて経験する柔道部に入部しても幼少期からの農作業の手伝いで培った体力と筋力とでめきめき実力をつけ個人戦で優勝し続けたEさん、落語家になったFさん。……先生方も個性的でした。テストの点数順に座席を変える「鬼のS」と呼ばれた数学の先生、廊下のど真ん中を歩き、擦れ違う生徒が窓側に避けて通るほど恐れられた体育の先生、毎時間、自作の解説プリントを配ってくださった社会の先生。……。そして、生物の先生の話が意味不明のお経に聞こえ、数学や古典文法でも20点台を取っていた私。柔道部で先輩に投げ続けられ、昇段審査でも後輩に先を越され続けた私。……お陰で、中学生時代の自分は視野が狭く、思い上がりがあったことに気付いたのです。つまり自己理解が甘かった私には、その後、自己嫌悪の日々が続きました。中学生のときは「□□はこういう人間だ。」と仲間が理解してくれていたからこそ、自分には居場所があり、調子に乗ることもできたのだ、と初めて分かったのです。
 一方で、憧れの人にも出遭いました。現代国語のI先生です。机間巡視をすることなく、黒板に背を少しもたれかけながら、ご自身の深い文章解釈や見識を語り続ける姿を尊敬しました。生徒には結構嫌味を言い続けながら距離を保っているので、一見近寄りがたかったのですが、レポートにいつも赤字でコメントをくださるので、私は、言葉で考えや思いを表現することが好きになったのです。その結果、自分の強みを知ることもできました。私が国語教師となるきっかけを与えてくださった先生でした。

 3年生の皆さん、いや、全校生徒の皆さん、与板中学校は、どちらかと言うと、皆さん同士がお互いを理解し合っている学校だと私は感じています。幼少期から同じ学び舎で一緒に過ごしてきた人が多いからかも知れません。ちょっと失礼な言い方かも知れませんが、高校に行ったら周囲からは理解されにくい行動も、今の仲間からは温かく認められていることが多いのではないでしょうか。……ただ、その結果、中学生時代の私のように、自己理解が甘くなってしまうことがあるかも知れませんね。
 一方で、それぞれが自分なりに成長しているにもかかわらず、小学校以来の仲間からの他者理解の範疇に自分理解を留めてしまっている人もいるのではないでしょうか。有り余る力を発揮せず、遠慮していると思われる人の姿を見かけることがあるからです。他者理解に自分を合わせ、殻を突き破れないでいるのかも知れませんよ。自分が気付かないまま。……今はその方が生き易いと判断しているのかも知れませんね。無意識に。……あるいは、過小評価している自分に気付かないでいるのかも知れません。あなたはもっとすごいのに。
 高1ギャップは高1チャンスともなり得ます。そして、そのチャンスをつかむかどうかは、他の誰でもなく、あなた次第です。そのためにも、今から、いろいろなことに挑戦し続け、その都度遭遇する困難を乗り越えながら、自分という人間を磨き、自己理解も更新し続けて欲しいと願っています。
 誰のせいでもない。すべては、自分自身の心が決めているのですから。
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