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27日 宮本小150年のあゆみ3(明治後半)

校長室の耐火書庫に、初代校長中山仁和の履歴書が残されています。毛筆で達筆な履歴書です。中山さんは、明治30年(1897年)から校長として勤務しました。と言うことは、創立からこの年までは校長はいなかったようです。中山さんは文久3年(1963年)鳥越で生まれ、当時35才くらいだったようです。ちなみにこの履歴書には、月俸金拾四円という記述もありました。

子どもたちは、習字の時間だけでなく、他の勉強の時も筆を使ったそうです。だから、机の上にはいつもすずりがあったそうです。大人も子どもも筆で文字を書くことが一般的、だから大人も子どもも上手だったんでしょう。

この頃、宮本尋常小学校は4年生終了で卒業でした。5年生に進みたい子は関原小に通ったそうです。歩いて関原まで行ったのでしょう。宮本にも5年生と6年生の学級ができたのは明治41年、全校児童は230人くらいでした。翌42年には、高等科もでき宮本尋常高等小学校になりました。高等科とは、尋常6年を卒業した子が2年間通います。今でいうと中学校のようなところです。高等科への進学は義務ではありませんが、児童数は300人を超えました。学校が創立された明治初め、女子は少なかったですが、この頃はかなり増えたそうです。

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