★★★学校生活の様子を写真と文で紹介します。★★★
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26日 2時間目の様子

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今日はすべてのクラスで、身長と体重の発育測定がありました。4月、8月、1月に行うことになっており、今回が今年2回目でした。2時間目に1・2年生は会場に集まりました。計測に先立ち、養護教諭のミニ授業がありました。「よい1日をスタートさせるには、朝にお日様をしっかり浴びることが大切。夜寝る前にタブレットやゲームでブルーライトの光を浴び続けると目だけでなく脳にも良くないこと。」という内容でした。子どもたちは、自分の生活を振り返りながら発表したり話を聴いたりしました。とても行儀がよかったです。

3階に上がると、3年生は算数、長さの学習でした。小グループになり、仲良く意見交換をしていました。4年生も算数、「四捨五入、以下や以上、未満」という新しい算数用語を学んでいました。和気あいあいという感じで学習が進んでいました。

5・6年生は音楽、音楽会で演奏する曲を練習していました。同じ楽器の担当同士が教え合いながらのパート練習でした。

夏休み後2日目でした。どのクラスもどの子も、楽しそうに一生懸命学んでいました。


今日の給食 26日

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冷やしサラダラーメン
ミニトマト
かぼちゃのチーズ焼き
牛乳

25日 今日から1学期後半がスタート

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今日から1学期後半がスタートしました。

今朝、登校班と一緒に歩いてくださった見守りボランティアの保護者の方が、班の子どもたちとの別れ際、「学校、楽しんできてね。」とおっしゃっていました。よく、「勉強がんばってね」という言葉は聞きますが、「楽しんで」という言葉はとても新鮮で素敵なメッセージに聞こえました。子どもたちにとって、楽しくて実り多い生活が送れるよう、職員一同、力を尽くしたいと考えています。

さて、今日はどの学級でも、夏休みの思い出や完成した作品の発表会をしていました。
家族と一緒に旅行した絵日記、お母さんと一緒に取り組んだ料理のレシピ作り、育てている野菜の観察記録、誰の力も借りず自分だけで作った木工作。子どもたちの力作が教室や廊下に並び始めました。

給食も今日から始まりました。まだまだ黙食は続きますが、おいしい給食をみんなでいただきました。


今日の給食 25日

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夏野菜のハヤシライス
フレンチサラダ
巨峰
牛乳

24日 夏休み、最終日

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今日は夏休みの最終日です。もう少し夏休みが続いてほしいと思っている人、明日が待ち遠しいという人、人それぞれでしょう。「宿題が・・・」など心配がある人もいるかもしれませんが、、元気に登校してくれることが何より一番と考えています。あす、待っています!

写真上は、今日の午前中に行われた中学校区のオンライン研修です。 
写真中は、明日からの給食に備えて調理員さんが準備を始めたところです。
写真下は、教室の黒板に書かれた担任からのメッセージです。どのクラスも担任の思いが記されていました。

23日 遠足下見、雪国植物園

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宮本小の遠足は、雪国植物園(3丁目)と越後丘陵公園(東方町)に隔年で行くことにしています。地域の自然にふれたり、素晴らしい施設を利用したりすることで、もっともっと宮本に愛着をもってもらいたいと考えています。今年は9月下旬に雪国植物園への遠足が予定されています。

今日の午後、職員と下見に行って来ました。学校からは1.5キロの道のりですが、中に入ると広大な植物園が広がっています。2つの班に分かれ、違うルートでたっぷり2時間散策しました。昨日ほどの暑さではないものの、30度を超える中での山歩きは、大変でしたが、職員みな元気に歩き通しました。この夏一番の運動だったという職員もいました。気持ちのよい汗をたっぷりとかいた下見でした。

22日 可愛い子猫が

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朝、校長室で澄ますと、虫の声が聞こえます。お盆前はまだ聞こえなかった秋の虫たちです。季節は夏から秋に移ってきたと確実に感じます。しかし今日は気温が上がりました。2時頃に3階の教室に行くと、温度計は34度を指していました。今日は、真夏のようでした。

さて、今朝は校長室で耳を澄ますと、ミャーミャーという小さな声が聞こえてきました。校長室から外を見ると、窓の下のすずしい所に体長は20センチほど、生後1か月くらいの子猫がじっとしていました。親猫とはぐれたのでしょうか、元気がありません。しばらくするといなくなったのですが、お昼くらいに戻って来ました。鳴き声も動きも朝と比べると元気がありません。明らかに衰弱していました。今日の暑さを考えると、命の危険さえ感じました。

そこで、猫好きの職員、動物飼育に詳しい職員たちと相談し、関原町にある動物愛護センターに相談しました。子猫は引き取ってもらうことになり、早速お届けに行きました。
これが子猫にとって1番よかったのかなと思います。

19日 校舎のメンテナンス

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夏休み、子どもたちが登校しないないうちに、学校施設の点検や清掃などが校内各所で行われています。消防施設の点検、地下タンクの清掃、外壁の耐震調査、高架水槽の点検、給食施設やエレベーターの点検などです。

今日は、外窓を清掃する業者さんが来校されました。学校の窓は、落下防止など安全を確保するため、15センチほどしか開きません。そのため、普段は窓の外側をふくことが出来ません。そこで学校の高い所(2階と3階)は業者さんにお願いすることになっています。長いブラシとホースを使い、丹念に作業をしてくださいました。しばらく近くで見学させてもらいましたが、上ばかり見ていたので、首が痛くなりました。

18日 宮本小150年のあゆみ16 卒業制作(令和元年度、令和2年度)

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写真上は現在中学3年生が作成したおみくじカレンダー、写真下が中学2年生が作成した教室表示です。

過去の卒業制作を見ると、大作が多く、完成まで多くの時間を要しています。その頃から時代が移りました。その時の担任と卒業制作について意見交換をしました。6年生の時間的余裕、児童数の減少、予算などから考えて、卒業制作は行わないことにしました。しかし、卒業間際になり6年生から「後輩たちのためになる物を残したい」という意見が出ました。

新型コロナのため臨時休校になり、それに負けずギリギリまで作品作りに取り組んで現中3生、完成した表示を持って各教室をまわり表示を設置してくれた現中2生、そんな様子が目に浮かんできます。

令和2年度の卒業制作を最後の作品と考えています。

17日 宮本小150年のあゆみ15 卒業制作(平成26年度、29年度、30年度)

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写真上は、平成26年度の卒業生作の「四字熟語、ことわざ、格言」の短冊です。体育館と階段おどり場に掲示されています。全部で71枚ありました。当時の6年生が、色々と調べ、自分に対して、そして後輩たちへのメッセージなのだろうと思います。

写真中は、29年度の卒業生作の「校舎案内図」、写真下は30年度の卒業生作の「下駄箱の学年表示」です。「こんなものが学校にあるといいなあ」という発想で、卒業生たちが相談して決めたのではないかと思います。どちらも児童玄関付近にあるので、毎日何気なく見ています。


16日 宮本小150年のあゆみ14 卒業制作(平成11年度、23年度、25年度)

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写真上は、体育館のステージ側のバスケットのボードです。子どもたちのお手製で、小さく1999年5年生とのサインがあります。5年生なので卒業制作ではなく、図工の時間に行った共同作品だと思います。現在35才くらいの方々の作品です。今の子どもたちも、よくこのボードを使ってバスケを楽しんでいます。

写真中は、各階の廊下に表示されている、「はさみ」の表示板です。平成23年度卒なので現在は23才くらいの方々です。はしらない、さわがない、右側通行という約束をメッセージとして伝えてくれています。

写真下は、体育館の入り口に表示されたスローガン「笑顔のさわらびっ子」です。25年度卒なので現在21才くらいの方々です。体育館入り口の上に設置されています。私は、体育館から廊下に出る時に毎回、このスローガンを見て少し笑顔をつくり、体育館を後にします。


15日 宮本小150年のあゆみ13 卒業制作(平成4年度)

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写真上は平成4年度のもの。20センチ四方の板に各自が植物をモチーフに彫刻をし、
その板をはめ込み、大きな額になっています。そこに花いっぱい運動の写真などを貼ることが出来ます。体育館に向かう廊下に設置してあります。植物を大切に育てている宮本小らしい作品です。

写真下は、子ども会の歌の歌詞を彫刻したものです。残念ながら作成年の記載がありませんが、木に彫刻を施す作品がこの頃多くあるので、平成の初めの頃なのではないかと予想します。もし違っていたらご指摘ください。

12日 宮本小150年のあゆみ12 卒業制作(昭和63年度、平成2年度)

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昭和63年度卒、平成2年度卒の皆さんの制作なので、現在40代半ばになってる方々です。

写真上は昭和63年度卒の作品、『さわらびのちかい』の銅板レリーフです。銅板に誓いの3か条を書き、それを打ち出したものです。児童玄関の壁面に堂々存在感を示しています。昭和の時代に作られたこの3か条は、こんなふうに伸びていってほしいというさわらびっ子への願いが込められています。

写真下は平成2年度の作品、教育目標の彫刻です。『ただしく かしこく たくましく』の文言は、ちょうどこの年度に出来たものです。ですから、学校からこれを卒業制作として作ってほしいという希望があったのかもしれません。この教育目標は、現在も継続しているものです。

10日 宮本小150年のあゆみ11 卒業制作(昭和61年度)

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体育館や廊下には、宮本小を巣立っていった6年生が、卒業を記念して作った共同作品が掲示や設置がされています。

確認できるなかで最も古いのは昭和61年度の卒業生のもので、体育館背面の高い所に設置されています。とび箱やバスケなど、子どもが運動している場面を彫刻で表現し、それを貼り合わせてあります。たて1.5m横1.5mの大作です。全部で板が49枚あります。この時の6年生は2クラスで49人ですので、各自が1枚を丹精込めて作り、それを合わせたのではないかと思います。

昭和61年度の卒業生の方は、昭和49〜50年生まれの方なので現在47〜48才の方です。思い出話などございましたら是非お寄せください。

今日から数回に分け、学校に残る卒業制作を写真と共に紹介します。

9日 宮本小150年のあゆみ10(さわらびの由来)

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さわらびっ子、さわらび児童会、さわらび音楽会など、宮本小には「さわらび」がつく
名称や活動がたくさんあります。「さわらび」の由来を知るため、昨年、学校だよりで呼びかけました。すると、児童の祖母の方から丁寧なお手紙をいただき、当時の状況が分かりました。

その手紙には次のことが書かれていました。
児童会の名前に「さわらび」がついたのは、プールが出来たのと同じ年、昭和41年(1966年)今から56年前だそうです。昭和29年・30年生まれの学年が6年生になった時です。児童会に名前がなく、名前を付けようとなったそうです。投票で決めることになり、
「さわらび」「あすなろ」、そしてもう一つの候補から「さわらび」に決まりました。なぜさわらびかと言うと、その年の春、全校の児童が、わらび採りをして児童会の資金にしたそうです。ちなみに、さわらびとは子どものわらびのことで、担任の先生から「やがて皆もさわらびのように大きく成長していくのだ。」というはお話しを聞いたそうです。


8日 宮本小150年のあゆみ9(プールが出来た)

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宮本小にプールが出来たのは、昭和41年(1966年)今から56年前です。

子どもたちは、プールがなかった頃は、黒川や河久保川などの川で泳いでいました。各町内ごとに、泳いでもよい場所は決められていたそうです。女子は水着ですが、男子の大部分はふんどしで泳いだそうです。低学年の子は、高学年の子からしめ方を教えてもらったそうです。

そして、念願だったプールが完成しました。プールは、宮本中の子どもたち、大積小の子どもたちと共同で使いました。水は、地下水を引いたため冷たかったそうです。学校に当時の写真が残っています。写真上はプール建設時のスナップ写真、写真中は子どもたちの様子です。写真下はプール開きですが、長岡南中学校水泳部の生徒が模範水泳を行ったそうです。



5日 夏休み14日目です

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夏休み、いかがお過ごしですか。

(写真上)スマイルガーデンの植物、スプリンクラーの水を得て、元気に咲き誇ってい
ます。花と同じほど、雑草も元気です。

(写真中)2年生が色々な野菜を育てています。たわわに実るとは正にこのことですね。
 お日様をたっぷり浴びた完熟ミニトマト。1コいただきましたが、店頭に並んでいる
どのミニトマトより新鮮かつ甘いです。

(写真下)校長室から撮ったゴーヤのツルです。今日収穫したゴーヤを手前に並べまし
たが、窓の外のツルには、生長途中のゴーヤがたくさんついています。

夏休み中盤を迎えました。長いお休み、夏バテや体調を崩しそうな人もいるかもしれません。野菜など栄養のあるものを食べ、規則正しい生活をし、運動もし、元気いっぱい過ごしてください。ガンバ!

4日 中学校区研修会

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今日は、午後に中学校区の研修会を青葉台中学校を会場にして行いました。第1部は、小中学校教職員の研修です。学力向上部会、小中交流部会、家庭・保健安全部会などに分かれ、7月まで行ってきた取組の進捗について話し合いました。各校の頑張りや課題を聞き合うことで、得るものも沢山ありました。

第2部は、学校運営協議会(コミュニティスクール)研修会でした。今日は、各学校単位でグループを作りました。宮本在住の運営協議委員さんとPTA三役さんと教職員が、宮本の子どもたちの良さやもっと伸ばしたい点などについてたっぷり話し合いました。色々な話題が出ましたが、「子どもたちは宮本の宝だ、地域の人たちは、皆そう思っています。」という発言がありました。私も心からそう思いました。有意義な協議会でした。

3日 校門

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昨日は、昭和14年と昭和19年の卒業写真を紹介しました。では、宮本小の校門、これはいつ頃できたと思いますか? 

答えは昭和16年です。日本では大きな戦争が始まった年です。門柱の裏に、消えかけた薄い文字で、昭和16年宮本青年團寄贈と記されていました。今から80年以上前になります。辛い戦争を超え、風雪にも耐え、長きにわたり、宮本小の子どもたちを見守ってくれました。長い年月により、表面の宮本小の文字も消えかけ、校門全体もかなりのいたみがありました。

そこで2年前、表面の「宮本小」と裏面の「昭和16年宮本青年團寄贈」の文字や門柱を修繕しました。

2日 子どもの服装の変遷

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写真上は、大正10年つまり今から100年前の尋常科卒業生、写真中は昭和14年の尋常科卒業生、写真下は昭和19年の初等科卒業生です。
3枚を見比べると色々なことに気づきます。

大正期は男女とも着物ですが、昭和に入ると学生服の男子が増えてきます。季節も関係するのでしょうが裸足の子も大勢います。また、びっくりすることに女子は一人も写っていません。男女別の学級になっていたという記録はありません。けれど、こういう場面では男女を分けられたのかもしれません。戦争末期の昭和19年頃には男女とも着物はいなくなり、男子は学生服、女子はセーラー服にかわってきました。髪型は、男子はいつの時代でも坊主刈り、女子はおかっぱにかわりました


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