16日 宮本小150年のあゆみ14 卒業制作(平成11年度、23年度、25年度)![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 写真中は、各階の廊下に表示されている、「はさみ」の表示板です。平成23年度卒なので現在は23才くらいの方々です。はしらない、さわがない、右側通行という約束をメッセージとして伝えてくれています。 写真下は、体育館の入り口に表示されたスローガン「笑顔のさわらびっ子」です。25年度卒なので現在21才くらいの方々です。体育館入り口の上に設置されています。私は、体育館から廊下に出る時に毎回、このスローガンを見て少し笑顔をつくり、体育館を後にします。 15日 宮本小150年のあゆみ13 卒業制作(平成4年度)![]() ![]() ![]() ![]() その板をはめ込み、大きな額になっています。そこに花いっぱい運動の写真などを貼ることが出来ます。体育館に向かう廊下に設置してあります。植物を大切に育てている宮本小らしい作品です。 写真下は、子ども会の歌の歌詞を彫刻したものです。残念ながら作成年の記載がありませんが、木に彫刻を施す作品がこの頃多くあるので、平成の初めの頃なのではないかと予想します。もし違っていたらご指摘ください。 12日 宮本小150年のあゆみ12 卒業制作(昭和63年度、平成2年度)![]() ![]() ![]() ![]() 写真上は昭和63年度卒の作品、『さわらびのちかい』の銅板レリーフです。銅板に誓いの3か条を書き、それを打ち出したものです。児童玄関の壁面に堂々存在感を示しています。昭和の時代に作られたこの3か条は、こんなふうに伸びていってほしいというさわらびっ子への願いが込められています。 写真下は平成2年度の作品、教育目標の彫刻です。『ただしく かしこく たくましく』の文言は、ちょうどこの年度に出来たものです。ですから、学校からこれを卒業制作として作ってほしいという希望があったのかもしれません。この教育目標は、現在も継続しているものです。 10日 宮本小150年のあゆみ11 卒業制作(昭和61年度)![]() ![]() ![]() ![]() 確認できるなかで最も古いのは昭和61年度の卒業生のもので、体育館背面の高い所に設置されています。とび箱やバスケなど、子どもが運動している場面を彫刻で表現し、それを貼り合わせてあります。たて1.5m横1.5mの大作です。全部で板が49枚あります。この時の6年生は2クラスで49人ですので、各自が1枚を丹精込めて作り、それを合わせたのではないかと思います。 昭和61年度の卒業生の方は、昭和49〜50年生まれの方なので現在47〜48才の方です。思い出話などございましたら是非お寄せください。 今日から数回に分け、学校に残る卒業制作を写真と共に紹介します。 9日 宮本小150年のあゆみ10(さわらびの由来)![]() ![]() ![]() ![]() 名称や活動がたくさんあります。「さわらび」の由来を知るため、昨年、学校だよりで呼びかけました。すると、児童の祖母の方から丁寧なお手紙をいただき、当時の状況が分かりました。 その手紙には次のことが書かれていました。 児童会の名前に「さわらび」がついたのは、プールが出来たのと同じ年、昭和41年(1966年)今から56年前だそうです。昭和29年・30年生まれの学年が6年生になった時です。児童会に名前がなく、名前を付けようとなったそうです。投票で決めることになり、 「さわらび」「あすなろ」、そしてもう一つの候補から「さわらび」に決まりました。なぜさわらびかと言うと、その年の春、全校の児童が、わらび採りをして児童会の資金にしたそうです。ちなみに、さわらびとは子どものわらびのことで、担任の先生から「やがて皆もさわらびのように大きく成長していくのだ。」というはお話しを聞いたそうです。 8日 宮本小150年のあゆみ9(プールが出来た)![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 子どもたちは、プールがなかった頃は、黒川や河久保川などの川で泳いでいました。各町内ごとに、泳いでもよい場所は決められていたそうです。女子は水着ですが、男子の大部分はふんどしで泳いだそうです。低学年の子は、高学年の子からしめ方を教えてもらったそうです。 そして、念願だったプールが完成しました。プールは、宮本中の子どもたち、大積小の子どもたちと共同で使いました。水は、地下水を引いたため冷たかったそうです。学校に当時の写真が残っています。写真上はプール建設時のスナップ写真、写真中は子どもたちの様子です。写真下はプール開きですが、長岡南中学校水泳部の生徒が模範水泳を行ったそうです。 5日 夏休み14日目です![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (写真上)スマイルガーデンの植物、スプリンクラーの水を得て、元気に咲き誇ってい ます。花と同じほど、雑草も元気です。 (写真中)2年生が色々な野菜を育てています。たわわに実るとは正にこのことですね。 お日様をたっぷり浴びた完熟ミニトマト。1コいただきましたが、店頭に並んでいる どのミニトマトより新鮮かつ甘いです。 (写真下)校長室から撮ったゴーヤのツルです。今日収穫したゴーヤを手前に並べまし たが、窓の外のツルには、生長途中のゴーヤがたくさんついています。 夏休み中盤を迎えました。長いお休み、夏バテや体調を崩しそうな人もいるかもしれません。野菜など栄養のあるものを食べ、規則正しい生活をし、運動もし、元気いっぱい過ごしてください。ガンバ! 4日 中学校区研修会![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 第2部は、学校運営協議会(コミュニティスクール)研修会でした。今日は、各学校単位でグループを作りました。宮本在住の運営協議委員さんとPTA三役さんと教職員が、宮本の子どもたちの良さやもっと伸ばしたい点などについてたっぷり話し合いました。色々な話題が出ましたが、「子どもたちは宮本の宝だ、地域の人たちは、皆そう思っています。」という発言がありました。私も心からそう思いました。有意義な協議会でした。 3日 校門![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 答えは昭和16年です。日本では大きな戦争が始まった年です。門柱の裏に、消えかけた薄い文字で、昭和16年宮本青年團寄贈と記されていました。今から80年以上前になります。辛い戦争を超え、風雪にも耐え、長きにわたり、宮本小の子どもたちを見守ってくれました。長い年月により、表面の宮本小の文字も消えかけ、校門全体もかなりのいたみがありました。 そこで2年前、表面の「宮本小」と裏面の「昭和16年宮本青年團寄贈」の文字や門柱を修繕しました。 2日 子どもの服装の変遷![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 3枚を見比べると色々なことに気づきます。 大正期は男女とも着物ですが、昭和に入ると学生服の男子が増えてきます。季節も関係するのでしょうが裸足の子も大勢います。また、びっくりすることに女子は一人も写っていません。男女別の学級になっていたという記録はありません。けれど、こういう場面では男女を分けられたのかもしれません。戦争末期の昭和19年頃には男女とも着物はいなくなり、男子は学生服、女子はセーラー服にかわってきました。髪型は、男子はいつの時代でも坊主刈り、女子はおかっぱにかわりました 1日 明治時代の卒業写真![]() ![]() ![]() ![]() その写真の前列、左から3番目、学生服風を着ている男性は、学生ではありません。第4代校長の中野象吉です。校長室に飾られている歴代校長の写真で確認しました。前列にはもう2人、学生服風を着てひげを生やしています。多分この方も教員なのでしょう。中村校長の隣にいる立派な髭の方を生やし腕を組んだ和服の方、この写真のなかで最も堂々としています。教員なのでしょうか。 明治後半の學籍簿を見ると、退学と記載された人はほとんどいません。だから、卒業を記念して写真撮影したのではないかと推察します。この頃の子どもの服装は、男子は普段は縞の木綿、女子も木綿の着物でした。卒業など特別の式では、男子はかすりの着物、女子は染めがすりとはかまでした。一人一人の顔を見ると大人びて見えますね。 29日 学校に残る最も古い資料(學籍簿)![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 表紙をめくると、番号1、山田文七、明9年2月入学、生年令5-8とあります。親の氏名と職業、住所、退学の場合の理由などが書かれています。番号2野中佐平、番号3小島八蔵、番号4松原辰治、番号5関野三七・・・・・・と続きます。入学時の年齢は、 5才、6才、7才、8才と人により違い、入学月日もまちまちです。卒業も3月に一斉にするのではなく、何年か学び、それぞれの家の都合で退学していくというふうです。 親の職業は、ほとんどが平民農、たまに平民商と記されています。士族と書かれた春山という人がいました。 現在の学校は、入学や卒業は同年齢の子と一緒というのが一般的ですが、当時の学校はそうではなかったようです。 28日 児童会交歓会![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 10か校ほどがグループになり、「あいさつ」「全校が仲よくなるためにどんな活動をしているか」などをテーマに協議を行いました。参加者は、児童会活動の中心を担う子どもたちです。どの学校にも似たような課題もあります。悩みや対策などを話し合うことで、今後の活動に役立つヒントも得たようです。実りある話し合いが出来たと思います。宮本小の子どもたちも、堂々とした態度で進行や意見発表をしていました。 宮本小150年のあゆみ3(校旗) 職員玄関に入った所のカベに、額に納まられた校旗があります。大正11年作製という刺繍が施されています。縦1m、横1.2mある重々しいものです。沿革誌には、この年に学章が制定され校旗が樹立されたと記されています。 沿革誌とは、学校の歴史や変遷を書き記したものです。どの学校の耐火書庫にも保存されており、永年保存です。学校での出来事、児童数などが記されていますが、初期の沿革誌には教職員の履歴や給料などの記載もあります。達筆な筆さばきで、びっしり書かれています。現在の沿革誌はパソコンで作成します。 27日 宮本小150年のあゆみ3(明治後半)
校長室の耐火書庫に、初代校長中山仁和の履歴書が残されています。毛筆で達筆な履歴書です。中山さんは、明治30年(1897年)から校長として勤務しました。と言うことは、創立からこの年までは校長はいなかったようです。中山さんは文久3年(1963年)鳥越で生まれ、当時35才くらいだったようです。ちなみにこの履歴書には、月俸金拾四円という記述もありました。
子どもたちは、習字の時間だけでなく、他の勉強の時も筆を使ったそうです。だから、机の上にはいつもすずりがあったそうです。大人も子どもも筆で文字を書くことが一般的、だから大人も子どもも上手だったんでしょう。 この頃、宮本尋常小学校は4年生終了で卒業でした。5年生に進みたい子は関原小に通ったそうです。歩いて関原まで行ったのでしょう。宮本にも5年生と6年生の学級ができたのは明治41年、全校児童は230人くらいでした。翌42年には、高等科もでき宮本尋常高等小学校になりました。高等科とは、尋常6年を卒業した子が2年間通います。今でいうと中学校のようなところです。高等科への進学は義務ではありませんが、児童数は300人を超えました。学校が創立された明治初め、女子は少なかったですが、この頃はかなり増えたそうです。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 26日 宮本小150年のあゆみ2(明治半ばの頃)![]() ![]() この頃の修業年限は3年か4年だったそうです。明治18年の児童数は前年より50人以上減り90人、明治19年には46人です。社会の不況や凶作が原因でした。その後は女子児童の入学も増え明治25年には150人を超えます。 一方、この頃にはこんな話もあります。やむをえず学年途中で退学しなければいけない子もいたそうです。その退学理由は、裁縫や農業などの「家事手伝い」、「子守」などが多かったそうです。 写真の「わがふるさと宮本」「宮本校百年のあゆみ」から引用したり参考にしたりして記事作成をしています。 25日 宮本小150年のあゆみ1(開校)![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 明治7年(1874年)1月8日、東方の長福寺を仮校舎として公立宮本校が開校しました。3枚の写真は、3年生と4年生の子どもたちが、それぞれ2年生の時に長福寺さんを訪問した時のものです。 明治5年に学校制度が政府から出され、国民全員が平等に教育を受けるという方針を示していました。しかし、全国どこも男子が在籍数の多くを占めいていました。宮本校の児童数218名のうち男子が195名、女子が23名でした。また、現在のように入学式があり6歳の子が同じ日から学び始めたわけではありません。家庭の都合により、一人一人の入学期日、通学した期間もまちまちでした。 この頃の学習は、「読み、書き、そろばん」が中心、1日5時間目までの授業だったそうです。昼ご飯はどうしていたかは不明です。 22日 『さわらびのうた』ホームページにアップ
連絡を3つします
1.さわらびのうたをホームページにアップしました。宮本小ホームページのトップ画 面、右上に記された「さわらびのうた」をクリックすると、ひなたさんが演奏し子 どもたちが歌う曲が流れます。 2.宮本小は来年、創立150周年を迎えます。宮本小の歴史に関わる内容をホームペー ジに載せたいと思います。25日からスタートします。 3.『学習支援動画』(県教育委員会作成)についての案内プリントを昨日配付いたしま した。そのプリントをホームページにも掲載しました。QRコード等を読み取り、 ご利用ください。夏休みの学習にも役立つと思います。同様に『子どもの学び応援 サイト』も掲載してあります。参考にしてください。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 22日 1学期前半が終了![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 給食の後は、体育館での全校集会でした。学年の代表児童が、今まで頑張ってきた成果や課題、夏休みの楽しみなどを発表しました。6年生の代表児童は、「考動しようと頑張り、それが達成できたできた1学期前半だった」と発表しました。考えて行動する、素晴らしいことです。 最後に生活指導担当から、「役に立つけど注意が必要なもの」として、車水火金物人についての話がありました。いよいよ明日から夏休みです。この6つを上手に活用し、十分注意もし、33日間の夏休みを過ごしてほしいです。 今日の給食 22日![]() ![]() ドレッシングあえ 冷凍みかん 牛乳 21日 夏休みをひかえて草取り![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 5・6年生は、1限から田んぼに出かけ草取りをしました。先日田んぼを見たときは、水を抜き、土にヒビが入るまで乾かす「中干し」がされていました。今日は、雨の影響で水が溜まっていましたが、ぬかるむことはありませんでした。80センチほどに伸びた稲の根元に生えている雑草を丹念に抜きました。 午後、時間を15分間と限定し、全校でサツマイモ畑の草取りをしました。マルチシートは敷いてありますが、畝と畝の間には雑草が実に元気よく育っていました。元気に伸びた雑草を抜くには、かなりの力が必要です。バッタ、カエル、コオロギ、カナヘビなど色々な生き物もいます。「バッタじゃなく草を取るんだよ」と上級生に注意されている子もいました。 15分経ち、子どもたちは校舎に戻りました。玄関近くのスマイルガーデンにも、かなりの雑草が生えていました。5時間目に授業がなかった教職員が残り、草取りが始まりました。約40分、汗びっしょりになるほど頑張りました。かなり取りましたがまだまだあります。 |