★★★学校生活の様子を写真と文で紹介します。★★★
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3日 校門

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昨日は、昭和14年と昭和19年の卒業写真を紹介しました。では、宮本小の校門、これはいつ頃できたと思いますか? 

答えは昭和16年です。日本では大きな戦争が始まった年です。門柱の裏に、消えかけた薄い文字で、昭和16年宮本青年團寄贈と記されていました。今から80年以上前になります。辛い戦争を超え、風雪にも耐え、長きにわたり、宮本小の子どもたちを見守ってくれました。長い年月により、表面の宮本小の文字も消えかけ、校門全体もかなりのいたみがありました。

そこで2年前、表面の「宮本小」と裏面の「昭和16年宮本青年團寄贈」の文字や門柱を修繕しました。

2日 子どもの服装の変遷

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写真上は、大正10年つまり今から100年前の尋常科卒業生、写真中は昭和14年の尋常科卒業生、写真下は昭和19年の初等科卒業生です。
3枚を見比べると色々なことに気づきます。

大正期は男女とも着物ですが、昭和に入ると学生服の男子が増えてきます。季節も関係するのでしょうが裸足の子も大勢います。また、びっくりすることに女子は一人も写っていません。男女別の学級になっていたという記録はありません。けれど、こういう場面では男女を分けられたのかもしれません。戦争末期の昭和19年頃には男女とも着物はいなくなり、男子は学生服、女子はセーラー服にかわってきました。髪型は、男子はいつの時代でも坊主刈り、女子はおかっぱにかわりました


1日 明治時代の卒業写真

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書籍『わがふるさと宮本』に明治43年度高等科卒業生という写真が載っており、「宮本小学校にある最も古い卒業写真です」という注釈があります。そこで校内を色々と探しましたが、残念ながら見⁰つかりませんでした。

その写真の前列、左から3番目、学生服風を着ている男性は、学生ではありません。第4代校長の中野象吉です。校長室に飾られている歴代校長の写真で確認しました。前列にはもう2人、学生服風を着てひげを生やしています。多分この方も教員なのでしょう。中村校長の隣にいる立派な髭の方を生やし腕を組んだ和服の方、この写真のなかで最も堂々としています。教員なのでしょうか。

明治後半の學籍簿を見ると、退学と記載された人はほとんどいません。だから、卒業を記念して写真撮影したのではないかと推察します。この頃の子どもの服装は、男子は普段は縞の木綿、女子も木綿の着物でした。卒業など特別の式では、男子はかすりの着物、女子は染めがすりとはかまでした。一人一人の顔を見ると大人びて見えますね。



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