皆さん、サイコーです! 〜 体育祭を終えて(遅ればせながら) 〜

1 当校の教育活動の柱
 当校では、「授業改善」と共に「特別活動の充実」を教育活動の柱としています。「特別活動」とは、望ましい集団づくりを通して生徒に人間関係づくりや社会づくりの資質・能力を育む教育活動です。そして、そこには学級活動・生徒会活動・学校行事が含まれています。

2 集団の問題解決能力(自治能力)を育むH先生の実践
 H先生は、私が尊敬する特別活動の大家です。小学校畑の方で、長年、学級づくりに一生懸命取り組んでこられました。退職してからは、県内各地で、特別活動の大切さや実践の方向性、その底にある理念等を伝え続けています。
 学級担任時代のH先生は、ある日、体育館での体育の授業が終わる何分か前に、児童にこんな活動(難題)を仕掛けました。ステージ脇に隠してあったバケツの中の水を体育館にぶちまけ、「さあ、次の時間に別の学年が体育館にやって来る。君たちはこの問題状況をどう解決するか、みんなで話し合い実行しなさい。」……私がそんなことをすると「はあ?先生が水をぶちまけたんだから先生が後始末をすればいいんじゃないですか!」と生徒に言われそうです。しかし、H先生の意図が児童に伝わっていますから、児童は話し合いながら問題解決に果敢にチャレンジしていったそうです。
 このエピソードは知る人ぞ知る伝説です。実際お会いするとH先生は決して鬼教師ではなく、明るく、人を温かく包み込んでくださる魅力的な方でした。ちなみに、このときの児童であったAさんは、その後、小学校の教員になり、やはり学級づくりに一生懸命取り組みました。今は大学の教授として特別活動の実践研究をさらに積み重ね、学校現場を指導・支援し続けています。

3 ピンチ・トラブル(難題)への対応力を発揮した与中生
 9月10日(土)に行われた体育祭の閉会式。挨拶をしなければならない私は、深呼吸をしながらある決意を胸に演台の上に上がりました。
 本当は「皆さん、サイコーです!」と言いたかったのです。だって、応援合戦で、赤団がピンチのとき青団は応援席で手拍子を送り赤団の内部では笑顔でフォローし合うし、青団が開始するとき赤団から「がんばれー!」という声が上がるし。さらに、放送の音が小さくなったとき、誰かが歌い出しそれにつられてみんなが歌い出すし。……ただ、「サイコーです!」と感情を露わにすると不覚な事態になることを恐れ、なるべくゆっくり、何がよかったを具体的に話そうと決意し、冷静さを装い続けました。
 誰のせいにも決してせず、ピンチを自分たち自身の問題として乗り越えようとする与中生の姿。それは、運動の得意な人も苦手な人も混在する赤団・青団、そして、信優会という集団(社会)の中でこれまでトラブルを乗り越えてきた与中生の真骨頂でした。私がこれまで付き合ってきた中学生の中でもなかなか見られない最高の姿でした。さらには、体育祭が終わった後にも、与中生は後片付けに誠心誠意取り組みました。また、後日、お互いに認め合い、感謝し合う活動も行いました。そこで感じた自己有用感や連帯感によって、与中生の問題解決の姿勢やお互いに思いやる姿は平常の学校生活にも生きている気がします。
 社会は、誰しにとっても完璧な環境をななかな用意できません。不測の事態が起こることは、近年の社会情勢・自然災害等からも明らかです。体育祭でピンチ(難題)に向き合い即時に対応した経験、そこで培った資質・能力は、未来社会を創り出す皆さんの「生きる力」であり、財産です。(放送機器の不調は誠に申し訳ありませんでした。事前に業者さんのアドバイスも直接受けながら入念な準備をした上でのトラブルでした。今後、原因を調査・特定し、改善に努めます。)

4 ふと思うこと
 当日、現1年生が与板小学校6年生のときの担任の先生が来校してくださいました。担任してもらった現1・2年生は嬉しそうに声を掛け、手を振っていました。体育祭を牽引した3年生の生徒の新潟日報『窓』欄への投稿が掲載され続けたとき、こども園の先生や元与板小学校の先生がお電話をくださいました。
 与中生の最高な姿に出会えた私たち与板中学校の教職員は本当に幸せです。それは、きっと与板幼稚園、与板こども園、与板小学校等の保育士、先生方の保育・教育が与板中学校に連綿とつながり、それを保護者・地域の皆様が支え続けてきてくださったお陰だと心から思っています。

体育祭の振り返り(青団小道具長)

 僕は青団の小道具長でした。モチーフが狼だったので、何か狼っぽい物を作ろうと思いました。その結果がしっぽでした。夏休みの準備では、小道具係全員が一生懸命作ってくれました。
 完成して応援リーダーみ見せると、とても喜んでくれたのでうれしかったです。団員全員に配ったときは「かわいい」という声がいくつも聞こえて、小道具係のやるべきことをしっかりこなせたことを実感できました。そして、本番の日には、総合優勝を取れてメチャクチャうれしかったです。
 3年間ずっと青団で勝てなかったので、正直泣きそうでした。僕は、この体育祭から、仲間を信頼し最後までやり切るということの大切さを知りました。

体育祭の振り返り(赤団小道具長)

 僕は、この体育祭を通して、最高の思い出は皆の思いを大事することで生まれると学びました。今回は、中学生として初めての小道具長を体験しました。最初から慣れないことが多く、投げ出したいと思うことが多かったです。それでも、他の小道具係のメンバーが積極的に協力してくれました。「できることはない?」などの言葉で、僕は一人じゃないと感じることができました。とてもうれしかったです。
 夏休みは、1・2年生が参加し、小道具を一緒に作りました。僕の慣れない指示でも、理解してくれてすぐ行動してくれました。そのお陰で、小道具作りを早く終えることができました。
 体育祭2日前では、チーム集会で小道具がたくさん壊れました。そんな中でも先生がすぐに来て修復をしてくれました。これらのことから、体育祭はみんなが協力して、良い思い出になることがわかりました。

青団Tシャツ長

 今年の体育祭もコロナ禍での開催で、いろいろな制約があったけど、最高の体育祭になったと思います。
 私は青団のTシャツ長をすることになり、ちゃんとできるか不安でした。でも、係の人たちが協力してくれたので、不安もなくなりました。1・2年生は言ったことをしっかりやってくれました。3年生はたくさんアイディアを出してくれたので助かりました。パネル・Tシャツの部では、準優勝という結果だったけど、迫力あるものにできたと思います。
 体育祭まで支えて下さった先生方、本当にありがとうございました。中学校生活最後の体育祭、とても楽しかったです。

体育祭の振り返り(赤団Tシャツ長)

 中学校生活最後の体育祭は負けてしまってとても悔しいけど、解団式で応援リーダーたちが話していたとおり、これまでの準備から当日まで本当に楽しかったです。
 私はTシャツ長として体育祭まで頑張ってきましたが、仲間と協力して良い作品を作るという達成感はこれが初めてのことだったのでとても楽しかったです。そして、賞を獲れて本当に嬉しかったです。
 体育祭を通して、仲間の大切さ、仲間と協力することの楽しさに気づくことができました。これからも仲間を大切にして、良い思い出をたくさんつくっていきたいです。

体育祭の振り返り(青団パネル長)

 自分はパネル長としてパネル係のみんなをまとめることができてよかったです。最初は自分がまとめられるかとても心配だったけれど、3年生の仲間が協力してくれたので心強かったです。1・2年生も3年生の指示をしっかり聞いてくれたので、とてもよかったです。
 パネル長になってから体育祭が終わるまでは責任感というものが大きかったけれど、終わったとき達成感に変わって最後までやり遂げることができてよかったなと思いました。

体育祭振り返り(赤団パネル長)

 最後の体育祭は、どの学年にも体調不良者が多くて、大変な体育祭でしたが、楽しい体育祭になりました。
 印象に残ったことは、やっぱりパネル・Tシャツ部門の優勝です。夏休み中にパネル係で一生懸命作ったパネルなので、優勝と言われたときはすごく嬉しくて感動しました。団のモチーフの鴉を迫力あるパネルに仕上げるのはとても大変でした。色もどんな色で塗ったらよくなるのか、常に考え、相談し、よりよいパネルになるように作業していました。作業中は、他学年との交流が多かったので、縦の関係を深めることができました。
 最初はパネル長としてちゃんとやれるか不安でしたが、終わった後の達成感がすごかったので、パネル長をやって良かったなと思いました。
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