2月5日 ひかり4年 総合「国漢学校の始まり」〜なぜ,虎三郎は…〜「本当は,一俵くらいは,腹が減っている武士たちにあげてもよかったんじゃないか」「焼け野原の中で,苦しい思いをしていたはずなのに,そもそもなんでお米をみんなで食べようとしなかったのだろう」「なぜ虎三郎は,そんなに勉強を一生懸命にしたのかな?つらくなかったのかな」「何を勉強していたんだろう?」などなど。 そこで2月5日(火),長岡市立科学博物館の広井造先生にお越しいただき,国漢学校や小林虎三郎についてお話を聞きました。小林虎三郎が生きていた頃の長岡の町の様子や人々の生活・歴史などをお話ししていただきました。 お話を聞いた後,子どもたちからは,「『国漢学校』の『国漢』の意味すら今まで知らなかったのに,なんで『国漢』学校にしようとしたのかを考えたところがすごい」「三根山藩からいただいたお米(米百俵)をそのまま配らなかったのは,虎三郎にもいろんな考えがあったからなんだ」「思っていることを,『実行する』が大切なんだな」などの感想をもっていました。虎三郎がなぜ長岡のために立ち上がったのか,背景にある思いに気付き始めた子どもたちです。今回学んだことを,今後,発信していきます。 |