校章 長岡市立希望が丘小学校 きぼっしー

ようこそ!平和学習室へ (平和について、命や生きることについて考える教室です)

「平和学習室」とは?

一晩にして長岡の街が焼け野原となった昭和20年(1945年)8月1日の「長岡空襲」。1488名もの尊い命が失われました。
 希望が丘小学校では、「ふるさと長岡を愛し、ふるさとに生きる子どもを育てる学校」として、「長岡空襲」について学ぶことを大事にしています。毎年6年生が、総合的な学習の時間を中心にして「ふるさと学習プラン」で、戦争を体験された方々から当時の様子や思いをお聞きしたり、戦争の関連資料が展示してある施設や戦争関連の史跡を巡ったりして、学びを進めてきました。この学びの集大成として、平成21年度の6年生が、総合創作劇「昔、長岡で戦争があったよ」に取り組みました。
 その後、平成24年度から毎年6年生が総合創作劇の上演を継続し、平成29年度からは、12月8日、太平洋戦争開戦の日に上演しています。そして、総合創作劇の終演後に、たくさんの皆様のご理解とご協力をいただいて、慰霊と平和を願う花火希望の「白菊」を打ち上げています。
 この取組に対して、たくさんの皆様から激励のメッセージを頂戴しています。その中には、ご家庭で保管されていた様々な戦争関連の実物や資料を、「子どもたちの学習に役立ててほしい」として寄贈してくださる方がお出ででした。貴重な資料ばかりです。「平和学習室」では、このようにして頂戴した資料を展示しています。また、併せて、子どもたちが学びを進めていく過程でご指導をいただいた皆様や長岡市内の戦争関連施設や史跡の情報、そして、学びの成果の一部も展示しています。

長岡空襲前の長岡の街並み

平和学習室の前面と廊下側側面の上部には、戦争前の長岡の様子を写した写真をパネルにして展示しています。希望が丘学区にお住いの高橋様より寄贈していただきました。戦争前の長岡は、モダンな造りの建物がたくさんあるとても素敵な街並みだったことが分かります。

空襲前の街並み空襲前の街並み

大家清作さん

卒業生の保護者・長谷川様からは、祖父の大家清作さんが戦地から家族に宛てて送られた貴重な手紙等を寄贈していただきました。これは、長谷川様のお母様がずっと大切に保管されていたものです。大家さんは、広神・東竹沢村(現・山古志地区)から招集されました。その後、新発田の歩兵部隊に所属、中支派遣(現在の中国・華中地方)を経て、ビルマ(現ミャンマー)で戦死されました。
 大家さんに召集令状が届いたときに同時に届いたと思われる「招集にかかわる件」という手紙には、持ち物や出発までの行動が細やかに指示されています。「赤紙」の存在は広く知られているところですが、赤紙とともにこのような説明書きも届いていたことを知ることができました。また、新発田・中支・ビルマから送られたたくさんのハガキが残されています。どのハガキにも「こちらは大丈夫。心配無用」「子どもたちは大きくなっただろう」「家の田んぼはどうなった?」とふるさとや家族を常に思っている内容がびっしりと書かれています。
 その後、大家さんはビルマ方面で戦死されます。その際、死亡宣告書とともに家族の手元に戻ってきたのは、「遺書」と「貯金通帳」のみでした。これらの手がかりから、大家さんは、激戦を極めたと伝えられている「インパール作戦」に参戦していたものと推測されます。また、戦死された日付から、インパール作戦の中でも最も激しい戦闘だったといわれる「コヒマの戦い」(インド・ミャンマー国境)で亡くなった可能性が高いことがわかりました。戦死された大家さんに送られたのは、勲章一つ。大家さんが実際に使っていたものなどは、何一つ家族の手元に戻ることはありませんでした。大家さんは、今もコヒマで眠っています。

大家さん手紙1大家さん手紙2大家さん遺言状

関昇市さん

前述の長谷川様の知人である関様が、希望が丘小学校の取組を知り、「祖父が使っていた当時の軍服が蔵に眠っている。学習に有効利用してもらえれば」と寄贈してくださいました。
 関昇市さんは、太平洋戦争が始まった直後の昭和18年頃招集され、憲兵をされていたそうです。出征の際にみんなが武運長久を願って寄せ書きをした「出征日の丸」、見送りの際にはためいたであろう立派な「出征幟」は、まだ戦況が良い時代のものだったことを想像させます。また、日本陸軍から支給された憲兵の軍服やコート、軍靴(短靴と長靴)、軍事手帳、奉公袋、ゴーグルなど、実際に使用されたものを寄贈していただきました。これらの資料は、手に取ってみていただくことができます。軍服の腕には「憲兵」と書かれた腕章がついています。関さんは、この憲兵の仕事に従事しましたが、心の中では納得できないことも多くあったそうです。そして、復員してからは「人のために尽くしたい」と弁護士の仕事をされたそうです。

関さん日の丸関さん昇り旗関さん憲兵服

源川多三郎さん

旧職員の村山教諭から寄贈していただきました。以前勤務された学校で戦争体験者である源川多三郎さんに体験談を語っていただいた際に譲り受けたものを、「希望が丘小の平和学習に役立ててほしい」と寄贈していただきました。
 源川さんは、陸軍の通信兵として招集されました。冬用のコートは、暖を取るために羊、ウサギ、タヌキなどの本物の毛皮を使用し、ずっしりと重みがあります。また、背嚢(リュック)には、たくさんのひもがついています。これは、中に入れるものが限られているので、飯盒や水筒などはリュックの中に入れず、その紐に括り付けて移動したものと思われます。また、源川さんが着用していたシャツを展示してあります。当時の成人男性が着用していたシャツですが、その大きさに子どもたちは驚きを隠せません。なぜなら、3年生、4年生の子どもたちが着てもちょうどよいほどの大きさだからです。子どもたちから「どうして、当時の大人の男の人がこのシャツを着ることができるのか」という問いが生まれます。その答えは…?

源川さんコート源川さんリュックサック源川さんシャツ

希望が丘小学校6年生の取組

これらのほかに、6年生の平和学習に深くかかわってくださっている方々や、6年生の具体的な活動の様子、また、これまでの総合創作劇シナリオや劇をご覧いただいた皆様からのメッセージなどを展示しています。

平和学習協力者希望の「白菊」レプリカ

本校の平和学習室の大きな特徴は、「貴重な資料を手に取ってみることができる」ということです。長岡戦災資料館や修学旅行の見学先である東京の昭和館では、これらの資料が厳重に管理され、手に取ってみることはできません。資料の保存という観点からみれば、手に触れることはあまりよいこととは言えませんので当然のことだと思います。
 しかし、「子どもたちの学習にぜひ活用してもらいたい」という寄贈者の皆様の思いと、直接触ってみることで感じ取ることを大切にしながら平和について、また、命や生きることについて考えてもらいたいという願いから、直接、本物の資料に触れることができる学習室としています。

平和学習 日の丸平和学習 昇り旗平和学習 手紙

平和学習室の開館により、6年生だけではなく、他の学年での学習にも活用しています。4年生国語「ひとつの花」、3年生国語「ちいちゃんのかげおくり」は戦争を題材に扱った単元です。これらの学習の導入として平和学習室を利用しました。また、今後は子どもたちや地域の皆様がいつでも自由に見学できるようにしていく予定です。

 ぜひ、近くにお越しの際は、希望が丘小学校・平和学習室にお立ち寄りいただきたいと思います。そして、地域の皆様とともに平和について、命や生きることについて考え、発信できる場として活用いただけたらうれしいです。