★★★学校生活の様子を写真と文で紹介します。★★★
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5日 夏休み14日目です

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夏休み、いかがお過ごしですか。

(写真上)スマイルガーデンの植物、スプリンクラーの水を得て、元気に咲き誇ってい
ます。花と同じほど、雑草も元気です。

(写真中)2年生が色々な野菜を育てています。たわわに実るとは正にこのことですね。
 お日様をたっぷり浴びた完熟ミニトマト。1コいただきましたが、店頭に並んでいる
どのミニトマトより新鮮かつ甘いです。

(写真下)校長室から撮ったゴーヤのツルです。今日収穫したゴーヤを手前に並べまし
たが、窓の外のツルには、生長途中のゴーヤがたくさんついています。

夏休み中盤を迎えました。長いお休み、夏バテや体調を崩しそうな人もいるかもしれません。野菜など栄養のあるものを食べ、規則正しい生活をし、運動もし、元気いっぱい過ごしてください。ガンバ!

4日 中学校区研修会

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今日は、午後に中学校区の研修会を青葉台中学校を会場にして行いました。第1部は、小中学校教職員の研修です。学力向上部会、小中交流部会、家庭・保健安全部会などに分かれ、7月まで行ってきた取組の進捗について話し合いました。各校の頑張りや課題を聞き合うことで、得るものも沢山ありました。

第2部は、学校運営協議会(コミュニティスクール)研修会でした。今日は、各学校単位でグループを作りました。宮本在住の運営協議委員さんとPTA三役さんと教職員が、宮本の子どもたちの良さやもっと伸ばしたい点などについてたっぷり話し合いました。色々な話題が出ましたが、「子どもたちは宮本の宝だ、地域の人たちは、皆そう思っています。」という発言がありました。私も心からそう思いました。有意義な協議会でした。

3日 校門

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昨日は、昭和14年と昭和19年の卒業写真を紹介しました。では、宮本小の校門、これはいつ頃できたと思いますか? 

答えは昭和16年です。日本では大きな戦争が始まった年です。門柱の裏に、消えかけた薄い文字で、昭和16年宮本青年團寄贈と記されていました。今から80年以上前になります。辛い戦争を超え、風雪にも耐え、長きにわたり、宮本小の子どもたちを見守ってくれました。長い年月により、表面の宮本小の文字も消えかけ、校門全体もかなりのいたみがありました。

そこで2年前、表面の「宮本小」と裏面の「昭和16年宮本青年團寄贈」の文字や門柱を修繕しました。

2日 子どもの服装の変遷

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写真上は、大正10年つまり今から100年前の尋常科卒業生、写真中は昭和14年の尋常科卒業生、写真下は昭和19年の初等科卒業生です。
3枚を見比べると色々なことに気づきます。

大正期は男女とも着物ですが、昭和に入ると学生服の男子が増えてきます。季節も関係するのでしょうが裸足の子も大勢います。また、びっくりすることに女子は一人も写っていません。男女別の学級になっていたという記録はありません。けれど、こういう場面では男女を分けられたのかもしれません。戦争末期の昭和19年頃には男女とも着物はいなくなり、男子は学生服、女子はセーラー服にかわってきました。髪型は、男子はいつの時代でも坊主刈り、女子はおかっぱにかわりました


1日 明治時代の卒業写真

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書籍『わがふるさと宮本』に明治43年度高等科卒業生という写真が載っており、「宮本小学校にある最も古い卒業写真です」という注釈があります。そこで校内を色々と探しましたが、残念ながら見⁰つかりませんでした。

その写真の前列、左から3番目、学生服風を着ている男性は、学生ではありません。第4代校長の中野象吉です。校長室に飾られている歴代校長の写真で確認しました。前列にはもう2人、学生服風を着てひげを生やしています。多分この方も教員なのでしょう。中村校長の隣にいる立派な髭の方を生やし腕を組んだ和服の方、この写真のなかで最も堂々としています。教員なのでしょうか。

明治後半の學籍簿を見ると、退学と記載された人はほとんどいません。だから、卒業を記念して写真撮影したのではないかと推察します。この頃の子どもの服装は、男子は普段は縞の木綿、女子も木綿の着物でした。卒業など特別の式では、男子はかすりの着物、女子は染めがすりとはかまでした。一人一人の顔を見ると大人びて見えますね。



29日 学校に残る最も古い資料(學籍簿)

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校長室耐火書庫の奥に、『東方小學校學籍簿』明治廿年6月改正という冊子を見つけました。『宮本小學校生徒學籍簿』という冊子もありました。宮本小にかかわるものの中で最も古い資料なのではないかと思います。

表紙をめくると、番号1、山田文七、明9年2月入学、生年令5-8とあります。親の氏名と職業、住所、退学の場合の理由などが書かれています。番号2野中佐平、番号3小島八蔵、番号4松原辰治、番号5関野三七・・・・・・と続きます。入学時の年齢は、
5才、6才、7才、8才と人により違い、入学月日もまちまちです。卒業も3月に一斉にするのではなく、何年か学び、それぞれの家の都合で退学していくというふうです。 
親の職業は、ほとんどが平民農、たまに平民商と記されています。士族と書かれた春山という人がいました。

現在の学校は、入学や卒業は同年齢の子と一緒というのが一般的ですが、当時の学校はそうではなかったようです。

28日 児童会交歓会

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きのう、長岡市の小学校『児童会交歓会』があり、宮本小は6年生の3名が参加しました。昨年、一昨年はコロナ禍で開催が出来ず、3年ぶりの会でした。今回は市立劇場に全員が集まって行う予定でしたが、感染者が増えており、急きょオンラインでの開催になりました。

10か校ほどがグループになり、「あいさつ」「全校が仲よくなるためにどんな活動をしているか」などをテーマに協議を行いました。参加者は、児童会活動の中心を担う子どもたちです。どの学校にも似たような課題もあります。悩みや対策などを話し合うことで、今後の活動に役立つヒントも得たようです。実りある話し合いが出来たと思います。宮本小の子どもたちも、堂々とした態度で進行や意見発表をしていました。


宮本小150年のあゆみ3(校旗)
職員玄関に入った所のカベに、額に納まられた校旗があります。大正11年作製という刺繍が施されています。縦1m、横1.2mある重々しいものです。沿革誌には、この年に学章が制定され校旗が樹立されたと記されています。

沿革誌とは、学校の歴史や変遷を書き記したものです。どの学校の耐火書庫にも保存されており、永年保存です。学校での出来事、児童数などが記されていますが、初期の沿革誌には教職員の履歴や給料などの記載もあります。達筆な筆さばきで、びっしり書かれています。現在の沿革誌はパソコンで作成します。

27日 宮本小150年のあゆみ3(明治後半)

校長室の耐火書庫に、初代校長中山仁和の履歴書が残されています。毛筆で達筆な履歴書です。中山さんは、明治30年(1897年)から校長として勤務しました。と言うことは、創立からこの年までは校長はいなかったようです。中山さんは文久3年(1963年)鳥越で生まれ、当時35才くらいだったようです。ちなみにこの履歴書には、月俸金拾四円という記述もありました。

子どもたちは、習字の時間だけでなく、他の勉強の時も筆を使ったそうです。だから、机の上にはいつもすずりがあったそうです。大人も子どもも筆で文字を書くことが一般的、だから大人も子どもも上手だったんでしょう。

この頃、宮本尋常小学校は4年生終了で卒業でした。5年生に進みたい子は関原小に通ったそうです。歩いて関原まで行ったのでしょう。宮本にも5年生と6年生の学級ができたのは明治41年、全校児童は230人くらいでした。翌42年には、高等科もでき宮本尋常高等小学校になりました。高等科とは、尋常6年を卒業した子が2年間通います。今でいうと中学校のようなところです。高等科への進学は義務ではありませんが、児童数は300人を超えました。学校が創立された明治初め、女子は少なかったですが、この頃はかなり増えたそうです。

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26日 宮本小150年のあゆみ2(明治半ばの頃)

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長福寺さんを仮校舎として学校が始まり、翌明治8年に新保甲(現在の宮本小の辺り)に新しい校舎が出来、東方校の本校となりました。その分校として大村校(現在の大積小)と関原校(現在の関原小)ができ、明治16年に2つの分校は独立しました。明治22年、宮本、東方、堀之内が合併し宮本村になり、校名は「宮本小学校」になり、明治25年には、宮本尋常小学校と改まりました。

この頃の修業年限は3年か4年だったそうです。明治18年の児童数は前年より50人以上減り90人、明治19年には46人です。社会の不況や凶作が原因でした。その後は女子児童の入学も増え明治25年には150人を超えます。

一方、この頃にはこんな話もあります。やむをえず学年途中で退学しなければいけない子もいたそうです。その退学理由は、裁縫や農業などの「家事手伝い」、「子守」などが多かったそうです。

写真の「わがふるさと宮本」「宮本校百年のあゆみ」から引用したり参考にしたりして記事作成をしています。

25日 宮本小150年のあゆみ1(開校)

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来年、創立150年を迎えます。そこで夏休み期間中、宮本小に残る写真や記録をもとに歴史を紐解いていきたいと考えています。今日は、その第1回です。

明治7年(1874年)1月8日、東方の長福寺を仮校舎として公立宮本校が開校しました。3枚の写真は、3年生と4年生の子どもたちが、それぞれ2年生の時に長福寺さんを訪問した時のものです。

明治5年に学校制度が政府から出され、国民全員が平等に教育を受けるという方針を示していました。しかし、全国どこも男子が在籍数の多くを占めいていました。宮本校の児童数218名のうち男子が195名、女子が23名でした。また、現在のように入学式があり6歳の子が同じ日から学び始めたわけではありません。家庭の都合により、一人一人の入学期日、通学した期間もまちまちでした。

この頃の学習は、「読み、書き、そろばん」が中心、1日5時間目までの授業だったそうです。昼ご飯はどうしていたかは不明です。


22日 『さわらびのうた』ホームページにアップ

連絡を3つします

1.さわらびのうたをホームページにアップしました。宮本小ホームページのトップ画
  面、右上に記された「さわらびのうた」をクリックすると、ひなたさんが演奏し子
  どもたちが歌う曲が流れます。

2.宮本小は来年、創立150周年を迎えます。宮本小の歴史に関わる内容をホームペー
  ジに載せたいと思います。25日からスタートします。

3.『学習支援動画』(県教育委員会作成)についての案内プリントを昨日配付いたしま
  した。そのプリントをホームページにも掲載しました。QRコード等を読み取り、
  ご利用ください。夏休みの学習にも役立つと思います。同様に『子どもの学び応援  
  サイト』も掲載してあります。参考にしてください。

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22日 1学期前半が終了

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子どもたち全員、今日も元気に登校しました。算数の総まとめ、タブレットを使ってのドリル学習、ロッカーや下駄箱のそうじ、夏休み前の学級指導、お楽しみ会など、どの学級も夏休み前最後の1日の学習を楽しく真剣に行っていました。

給食の後は、体育館での全校集会でした。学年の代表児童が、今まで頑張ってきた成果や課題、夏休みの楽しみなどを発表しました。6年生の代表児童は、「考動しようと頑張り、それが達成できたできた1学期前半だった」と発表しました。考えて行動する、素晴らしいことです。

最後に生活指導担当から、「役に立つけど注意が必要なもの」として、車水火金物人についての話がありました。いよいよ明日から夏休みです。この6つを上手に活用し、十分注意もし、33日間の夏休みを過ごしてほしいです。

今日の給食 22日

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ゆうごうチキンカレー
ドレッシングあえ
冷凍みかん
牛乳

21日 夏休みをひかえて草取り

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この1週間ほど、雨模様の日が多く、気にはなっていましたが、草取りが出来ませんでした。今日は曇り空、気温もそう高くはありませんでした。

5・6年生は、1限から田んぼに出かけ草取りをしました。先日田んぼを見たときは、水を抜き、土にヒビが入るまで乾かす「中干し」がされていました。今日は、雨の影響で水が溜まっていましたが、ぬかるむことはありませんでした。80センチほどに伸びた稲の根元に生えている雑草を丹念に抜きました。

午後、時間を15分間と限定し、全校でサツマイモ畑の草取りをしました。マルチシートは敷いてありますが、畝と畝の間には雑草が実に元気よく育っていました。元気に伸びた雑草を抜くには、かなりの力が必要です。バッタ、カエル、コオロギ、カナヘビなど色々な生き物もいます。「バッタじゃなく草を取るんだよ」と上級生に注意されている子もいました。

15分経ち、子どもたちは校舎に戻りました。玄関近くのスマイルガーデンにも、かなりの雑草が生えていました。5時間目に授業がなかった教職員が残り、草取りが始まりました。約40分、汗びっしょりになるほど頑張りました。かなり取りましたがまだまだあります。

今日の給食 21日

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ごはん
さばの生姜煮
ごま酢和え
大根のみそ汁
牛乳

20日 水泳授業の最後は着衣泳

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予定していた今年度の水泳授業が終了しました。天候や水温を心配せず、こんなに順調に水泳授業が出来たのは、今までの教員生活の中でも今年が一番です。今までの経験では、7月初めころまでは気温が低いために水温も上がらず、7月中旬以降は梅雨末期の大雨。悪天候の中、水泳授業をしたことも結構ありました。今年は6月から連日30度を超え、水泳には良い日和でした。猛暑日が続き閉口したこともありましたが・・・。おかげさまで、子どもたちの泳力も伸びました。

最終日の今日は、着衣泳をおこないました。水を吸った体操着は重く歩くこともままなりません。けれど、水中で上手に仰向けになると体操着自体も浮き輪代わりになります。
ペットボトルも浮き具になることも体験しました。1年生の子どもたちは、初めての経験でしたが、ペットボトルを使い一生懸命に浮こうと頑張っていました。高学年になると、ペットボトルがなくても体を伸ばし器用に浮いていました。

今日の給食 20日

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ピザトースト
ひじきのマリネ
ポトフ
牛乳

19日 紙芝居読み聞かせ『みちこのいのち』

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毎週月曜の朝活動の時間に、1・2年生に紙芝居の読み聞かせを行っています。夏休み前最後の読み聞かせでは、『みちこのいのち』を選びました。昭和20年8月1日、市街地の8割が焼け野原になり、多くの市民が犠牲になった長岡空襲、その体験を次の世代へと語り継ぐため、長岡市が体験者の証言を基に制作した紙芝居です。

1年生の中にも、長岡空襲のこと、長岡花火には慰霊や平和への想いが込められていることを知っている子が何人もいました。今日、初めて知った子もいました。

さて、夏休みまであと3日になりました。子どもたちから夏休みの楽しい予定を聞かせてもらっています。長岡花火を楽しみにしている子どもたちも大勢います。


15日 一致団結ボール運びリレー

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全校遊びの企画を、児童会運営委員会の子どもたちが考えました。名前は『一致団結ボール運びリレー』です。

さわらび班でチームを作り、リレー形式でボールを運びます。使うボールやボールを載せる物は班長のじゃんけんで決まりました。大きなボールが良いのか小さな方が良いのか?載せる物は、紙が良いのかプラスチックが良いのか?どんな運び方をするのかを班で相談していました。そしていざ本番になりました。大きな歓声が体育館に響いていました。

今回の遊びのめあては、「楽しむこと」「助け合うこと」「ふわふわことばを使うこと」でした。班で助け合い、応援しながらの楽しいひと時となりました。


今日の給食 15日

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ゆでうどん
カレー汁
ごまあえ
ミニトマト
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