今朝、夏休み前全校集会を行いました。
まず、7日に行われた第19回長岡市小学生陸上競技選手権大会の表彰です。代表してジャベリックボール投げで優勝した6年男児に賞状とメダルを授与しました。
続いて、海の学校、山の学校に挑戦する5年生、6年生の決意発表と4年生以下による応援を行いました。
校長講話では、パワーポイントを使って画像等とともに、1学期前半を振り返り、夏休みに期待すること、そして町校にとっても特別な日である8月1日について話をしました。
最後に、長岡空襲の後にできた表町小学校第二校歌を斉唱しました。
梅雨明けが待たれるところですが、子供たちは明日から夏休みです。これまで保護者、地域の皆様の御理解と御協力、御支援に感謝申し上げます。
この夏に親しみ、学び、鍛え、一人一人にとって楽しい有意義な夏休みとなりますよう、皆様の目配り、気配りをよろしくお願いいたします。
※8月1日にかかわる講話の概要は以下のとおりです。
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さて、なぜ、長岡まつりは8月1日・2日・3日に行われるのでしょう?
今から74年前のお話、81歳のおじいちゃん、おばあちゃんが、小学校1年生のころのお話です。
昭和20年(1945年)8月1日、夜10時30分。長岡空襲が始まりました。長岡のまちは、一瞬にして炎につつまれました。そして、町の8割が焼け野原になりました。見渡す限り、悪夢のような惨状です。1488名の尊い命が亡くなりました。
空襲から1年後の8月1日。長岡の町の再建と空襲犠牲者の霊を慰めるため、長岡復興祭が行われました。これが長岡まつりのはじまりです。
市民は心を慰められ、力を合わせながら、不撓不屈の精神で立ち上がったのです。この歴史をいつまでも後世に伝えるため、毎年、8月1日・2日・3日に長岡まつりが行われるのです。
この空襲で亡くなった1488名の中に、学校の子供たちが全部で280名いました。その中に、表町小学校の子供たち109名がいたのです。市内の学校で亡くなった子どもの数が一番多かった学校が、表町小学校なのです。町校には109名の名簿があります。
亡くなった280名の子供たちの霊を慰めるために、新潟県の先生方がお金を出し合って、像を造りました。霊を慰め、平和への願いをこめて、平和像と名づけられ、最終的に柿川沿い、本町にある平和の森公園に設置されました。
平和像の中には、その時に亡くなった子供たちの名簿が納められています。そして、像には次の言葉が刻まれています。
「1945年8月1日、ここ長岡に投下された数千の爆弾はいたいけな280余のいのちさえうばい去った。その霊をなぐさめる道は一すじに平和をまもり戦争をなくすることだ。」
また、亡くなった1488名の内、亡くなった人が268名で最も多かった平潟神社の境内には、市民を中心とした寄付や市や県からの補助金によって、戦災殉難者慰霊塔が建てられました。
慰霊塔には「このような不幸を再び繰り返さないよう願いを込めて」と刻まれています。
表町の子供たち109名を含め280名が戦争によって亡くなっていること。その子供たちの霊を慰めるために平和の森公園の平和像が先生たちの力で建てられたこと。表町の地域の人たち268名の霊を慰めるために平潟神社に慰霊塔が建てられたこと。そして、二度と再び不幸を生む戦争を繰り返してはならないこと。
町校の皆さんには、この事実を忘れず、語り継いでいって欲しいと多くの人が願っています。
8月1日は、長岡市恒久平和の日です。6年生が毎年、平和の森公園の「平和像」の前で、亡くなった子供たちの霊を慰める平和祈願祭に参加しています。心を込めて祈ってきてください。全校の皆さんも、家で祈ってください。
全国に誇る長岡まつり大花火大会ですが、込められたおもいは、先人への慰霊、復興祈願、恒久平和祈願です。
今日のお話を思い出して8月1日を迎えてください。
最後に、三つの車(救急車、消防車、パトカー)のお世話にならないように、気を付けましょう!
な・・・なくしてはならないものは 命!
つ・・・つづけよう 毎日やるべきことを!
や・・・やってみたいことに チャレンジ!
す・・・すすんで お手伝いをしよう!
み・・・みつけよう! 成長した自分を!
それでは、楽しい夏休みを 過ごしてください。8月27日に元気に、笑顔で会いましょう!