ようこそ!米百俵コーナー & 伝統館へ

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「米百俵」の精神は、長岡市のまちづくりの指針や人材教育の理念として今日まで受け継がれています。 この「米百俵」は阪之上小学校の誕生にかかわるエピソードです。 明治のはじめ、戊辰戦争で焼け野原となった長岡城下に、三根山藩(新潟県、旧西蒲原郡巻町)から見舞いとして百俵の米が贈られてきました。 しかし、長岡藩大参事・小林虎三郎は百俵の米を配分せずに売却し、国漢学校設立の資金として注ぎ込みました。 その後、「米百俵」は山本有三の戯曲によって広く知られるようになりました。 「国が興るのも町が栄えるのもことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て人物を養成するのだ。」 虎三郎の精神は、今もなお国漢学校(明治3年6月15日 新校舎開校)を前身とする私たちの阪之上小学校に脈々と流れています。

場所・開館日・開館時間

場所:阪之上小学校内 地図等は所在地・連絡先ページにてご確認ください。
開館日・時間:9:30〜16:00

見学を希望される方へ

上記時間内は一般開放をしています。見学を希望される方は、下記連絡先に事前に連絡をお願いします。

連絡先

長岡市立阪之上小学校
Tel:0258-32-2134
mail:01saka@kome100.ne.jp

伝統館 中央伝統館←
伝統館 正面伝統館右

米百俵コーナー

中央に「米百俵の群像」(ハイブ長岡にあるもののオリジナル)を展示。 「米百俵の精神」「ふるさと長岡の歴史を探る」「武士の娘」「北越戊辰戦争」「悠久山」の5つのコーナーで構成されています。

米百俵コーナー

伝統館外2

戊辰戦争で負けた長岡藩の苦しい生活は2年間続きました。
そのとき、支藩である三根山藩(現在の巻町)から百俵の米が贈られてきました。時の大参事小林虎三郎は、その米を売って国漢学校の費用に充てました。
ショーケースの中には、米百俵の精神が今も伝えられている資料が展示されています。

米百俵の群像

群像

山本有三の戯曲「米百俵」の有名な一場面を彫刻家の元井達夫氏らが制作したものです。 ハイブ長岡「米百俵の群像」のオリジナル作品です。

資料展示コーナー

伝統館外

他にも貴重な史料を多数展示しています。

伝統館

当校オリジナルの史料を展示。
「牧野7万4千石と戊辰戦争」「国漢学校の創設とその後」「わたしたちの学校」「長岡空襲」の4つのコーナーで構成されています。

阪之上小学校に保存されている貴重な資料

長岡城復元模型

mokei

長岡城本丸は現在のJR長岡駅がある場所に建っていました。ご存じでしたか? 当時の城下町長岡の様子と現在の長岡の様子とを比べてみるとおもしろいです。

萬国公法(ばんこくこうほう)

ばんこくトリミング

坂本竜馬が「これからの時代は,ピストルとこれぜよ。」と言っていたその実物がこれです。長岡藩の藩校崇徳館で使われていました。 幕末の長岡はすでに世界に目を向けていたことを示す貴重な史料です。(非展示品)

伝統館リーフレット

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