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◆第13回「前川を語る」を掲載します◆

第13回 「上組農学校と堀井八郎次」

 前回で堀井章一氏の学校創設を紹介しましたが、実はそれ以前の明治時代に学校設立に尽力した人が前川にいます。現在の新潟県立長岡農業高等学校の前身である古志郡立上組農学校の設立に尽力した前島の堀井八郎次氏です。氏は当時の古志郡上組村の村長でした。

 氏は今後の農村振興には農業教育が重要と説き、農学校設立の為に上組村内に賛同者を募り、最終的には古志郡内(長岡も入る)の総意としてまとめ上げました。学校は明治40年に認可されて、翌41年に開校しています。新校舎は同年7月に完成しました。記録によると、『堀井村長はあらゆる斡旋の他に校舎新築の責任を負い、仮校舎の借館、実習地の借地の交渉、果ては生徒の募集まで寝食を忘れてあたった』とされています。

 大正11年に上組農学校が県立に移管される際に、古志郡長から氏に表彰状が贈られています。それによると、校舎敷地の買収にあたり多額の私財をも提供していることが分かります。              

【古志郡長からの表彰状】

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