北中学校の学校の様子をお知らせします。
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3月9日(金)その2

<日曜日は3.11>
 東日本大震災が7年前に発生した3月11日、今年は日曜日と重なりました。中越地震、中越沖地震などの様々な災害から復興してきた私たちには重なる思いがあります。
 当校の職員が、学級だよりに東日本大震災関連の文章を載せたものを以下に紹介します。

「誰か」から「あの人」へ
 私は、中学3年の時に中越地震、高校3年の時に中越沖地震、大学3年の時に栃木で東日本大震災を経験しました。実は、私が一番怖かったのは東日本大震災です。
 大学の4階の教室でパソコンを使って勉強している時でした。あの年の3月はまだ寒く、電車で帰れない友人や、同じひとり暮らしの友人と、9畳の私の部屋に7人で集まって、一夜を過ごしました。もちろん、電気も水もガスも止まっていました。余震の恐怖と暖房が使えない寒さに耐え、懐中電灯の明かりのみの真っ暗の中、ありったけの布団や毛布にくるまり、コンビニでなんとか手に入れた冷たいおにぎりやお弁当を分けて食べていました。栃木県の大学なので、友人の出身地は地元栃木や福島、茨城、宮城、青森。7人の中には、友人の後輩で、電車が止まって帰れなくなったという初対面の子もいました。みんな携帯電話を使って家族と連絡を取り、お互いの安否を確認していました。宮城の気仙沼出身の友人がなんとか家族と連絡を取った後「ばあちゃんが生きているかわからないらしい」とぼそっと言いました。みんな、何も言えませんでした。
 大学では、募金活動をしました。市役所で、救援物資の仕分け作業をしました。自分がしていることがどれくらい、誰のためになるのか、具体的にはわからなかったけれど、やらなければいけないと思いました。ただ、学生時代にしなかったことで後悔したことがあります。被災地の訪問です。
 当時、行こうか行くまいか悩みました。行って邪魔になる?自分1人が行かなくても誰も困らない?でも実際に目で見て、現地の人と交流すべきなのでは?何か絶対できることはあるのでは?色々考えているうちに、結局現地に一度も行かずに大学を卒業しました。「いつかは行きたい」と思っていました。
 震災から4年が経った年に、初めて被災地に行きました。福島県の原発事故や津波の被害にあった地域です。
 3つの小学校の児童が仮設(写真)で一緒に生活をしています。プレハブの2階はひとつの小学校、1階は別の小学校です。体育館や特別教室は共有のようです。3つの小学校があった場所は津波の被害にあったのか、倒壊したのか分かりませんが使えるような状況ではないことは確かです。もうすぐ震災から5年が経つという、2年前なのに、です。
 黒い大量の袋(写真)は除染された土です。あたり一面に、その光景が広がっていました。外にいたのは、マスクとヘルメットを身につけた除染作業員の人以外、お年寄りが数人でした。今は立ち入り禁止区域ではないので、私でも行くことができました。
 海の方に行くと、慰霊碑(写真)がありました。まさにここまで津波が来たという線が見えました。となりの家はあるけれど、そこからはぱったりと建物がないという、津波によってできた「区切り」が見てわかりました。慰霊碑の前で手を合わせてきました。
 街に行くと、さらに衝撃的な光景が広がっていました。営業できないガソリンスタンドやドラッグストアはトラック置き場に、長岡にもある洋服店は何かの作業所に、もちろん半分壊れかけていたり、建物は残っているけれど中はからっぽだったりという店もあり、まさに「ゴーストタウン」でした。
 しかし、数百メートル先に進むとファストフード店があり、ショッピングセンターがあり、長岡のような「ふつうの街」の姿があり、人々が「ふつうに」生活をしていました。
震えるくらい「こわい」と思いました。地震が?津波が?放射能が?ゴーストタウンが?数百メートルしか違わないのにふつうに暮らす人間が?頭をフル回転させて色々なことを考えました。何も結論は出ませんでした。
 ただ、私は行って良かったと思います。街は確実に復興に向かっています。でも、被災者の心の傷は絶対に消えないし、消えたように見えたり思えたりしても、ふと思い出すことだって必ずあるはずです。この時期になると、東日本大震災について色々なことが報道されます。私は、「思い出すこと」がとても大きな意味をもつと思います。大学時代の友人のおばあちゃんが生きているのか、亡くなったのかはわかりません。大学時代に「何かやらなきゃ」と思って活動した時は、その友人の何とも言えない切なそうな顔が浮かんでいました。「被災地の誰かのためにこの活動をがんばりたい」と思う気持ちもすごく大切。でも、その「誰か」が「私の大切な友達である〇〇の家族」とか「△△に住んでいる□□くん」とか明確な「あの人」に変わったとき、人間は心や思いをさらに込めて「あの人」のために活動できるのではないかと思います。
 東日本大震災から7年を迎えるにあたって、「思い出すこと」そして一人ひとりが「今いる場所で、地域を愛して今を一生懸命生きること」、が何よりも大切だと思います。
 みんなは、7年前のあの時、何をしていましたか?
 今いる所で、今を、精一杯生きてください。  

 以上です。

 ※3月11日(日)の追悼式当日に哀悼の意を表す黙とうがあります。時刻は午後2時46分です。黙とう捧げていただければありがたく思います。

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