長岡市立表町小学校

明日から夏休みです〜二つのお話(夏休み前校長講話)〜

 おかげさまで順調に教育活動を積み重ねることができました。町校の児童は明日から夏休みに入ります。充実した有意義な夏休みとなりますよう保護者、地域の皆様、どうぞ目配り、気配りをお願いいたします。
 
 今朝は、夏休み前全校集会を行いました。校長講話では、まず、4月から毎日、笑顔とあいさつ、勉強、みゆき児童会、縦割り班活動、VS活動、鼓笛隊など、いろいろなことをがんばってきたこと、1年生もたくましくなってきたことが、画像をもとに紹介されました。そして、二つの話がありました。児童はスクリーンをじっくり観ながら聞いていました。

 講話は以下のとおりです。

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〜お話1〜 この夏に親しみ、この夏に学び、この夏に鍛えましょう。

 5年生は明日から海の学校、6年生は来月21日から山の学校があります。また、音楽部はSMF、水泳部は親善水泳大会、そして校内水泳記録会があります。成果を発揮しましょう。また、三つの車(パトカー、救急車、消防車)のお世話にならないように、事故なく、けがなく、病気なく、気をつけてください。

 な(なくしてはならないものは命!)つ(つづけよう!毎日やるべき事を!)や(やってみたい事にチャレンジ!)す(すすんでお手伝いをしよう!)み(みつけよう!成長した自分を!)・・・こんな夏休みになるよう期待しています。

〜お話2〜 なぜ、長岡まつりが8月1日・2日・3日に行われるのかということです。

 今から73年前、今、80歳のおじいちゃん、おばあちゃんが、小学校1年生のころのお話をします。下学年の皆さんには難しいお話ですがスクリーンを見ながらよく聞いてください。
 
 昭和20年(1945年)8月1日、午後10時30分、B29が焼夷弾爆撃を開始、長岡は一瞬にして炎につつまれました。空襲は2日午前0時10分過ぎまで続き、市街地の8割が焼け野原になり、1486名の尊い命が亡くなりました。見渡す限り悪夢のような惨状です。
 
 空襲から1年後の8月1日、長岡の町の再建と空襲犠牲者の霊を慰めるために長岡復興祭が開催されました。これが長岡まつりのはじまりです。

 市民は心を慰められ、励まされ、堅く手を取り合いながら、不撓不屈の精神で立ち上がったのです。この歴史をいつまでも後世に伝えるため、毎年、8月1日・2日・3日に長岡まつりが行われます。

 この空襲で亡くなった1486名の中に、学校の子供たちが全部で280名いました。その中に、表町小学校の子供たち109名がいたのです。市内の学校で亡くなった子どもの数が一番多かった学校が表町小学校なのです。

 亡くなった子供たちの霊を慰めるために、新潟県の先生方から募金を募り、そのお金で像を造りました。霊を慰め、平和への願いをこめて、平和像と名づけられ、現在は柿川沿い、本町にある平和の森公園に設置されています。平和像には次のような言葉が刻まれています。
「1945年8月1日 ここ長岡に投下された数千の爆弾はいたいけな280余のいのちさえうばい去った その霊をなぐさめる道は一すじに平和をまもり戦争をなくすることだ」

 また、亡くなった1486名の内、最も多い297名が亡くなった平潟神社の境内には、市民を中心とした寄付や市や県からの補助金によって、戦災殉難者慰霊塔が建てられました。慰霊塔には「このような不幸を再び繰り返さないよう願いを込めて」と刻まれています。
 
 鼓笛パレードの時、平潟神社で栄誉礼をするのも、亡くなった地域の人たちの霊を慰め、平和への祈りを捧げるという意味があります。これからも心を込めて、栄誉礼をお願いします。

 表町の子供たち109名が戦争によって亡くなっていること。その子供たちの霊を慰めるために平和の森公園の平和像が先生たちの力で建てられたこと。表町の地域の人たち297名の霊を慰めるために平潟神社に慰霊塔が建てられたこと。そして、二度と再び不幸を生む戦争を繰り返してはならないこと。
 
 町校の皆さんには、この事実を忘れず、語り継いでいって欲しい。多くの人が願っています。

 8月1日は、長岡市恒久平和の日です。6年生が毎年、平和の森公園の「平和像」の前で、亡くなった子供たちの霊を慰める平和祈願祭に参加しています。今年も心を込めて祈ってきてください。全校の皆さんも、家で祈ってください。

 8月2日、3日の全国に誇る長岡まつり大花火大会にこめられた想いは、先人への慰霊、復興祈願、恒久平和祈願です。

 今日のお話をわすれないで、8月1日を迎えてください。そして、大花火を観てほしいと思います。

 それでは、楽しい夏休みを過ごしてください。8月27日に元気に笑顔で会いましょう!


【活動紹介】 2018-07-18 16:00 up! *

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