至誠の心 ひとすじに

長岡市立日越小学校  笠井 優子


明治34年(1900年)、近在の上除校・喜多校・堺校を統合し、日越小学校が誕生しました。
それから120年、「教育は人づくりの根幹である」を合言葉に、地域と学校が一体となって子どもたちの健全育成に情熱を注いできました。


 地域と学校が一体となって教育の充実を図るという取組は、明治、大正、昭和、平成、令和の時代へ、脈々と受け継がれています。
 大正15年(1926年)に作られた校歌は、子どもたちに歌い継がれています。新潟県の穀倉地帯である越後平野の中央に建つ校舎からは、実りの秋を迎える頃、校歌2番の「瑞穂の金の波、かぎりも見えぬ大平野」の詞どおりの風景が、今も広がっています。
 昭和20年(1945年)8月1日の長岡空襲では、空襲を受けた日赤病院からたくさんの患者を受け入れました。木造校舎で幾夜を明かした人々は、命の尊さを知り平和を願ったに違いありません。
 昭和45年(1970年)、創立70周年の年に編成された金管部は、元気で明るい音楽を奏で、敬老会などの地域行事で活躍しています。
 昭和55年(1980年)、創立80周年の年に竣工した北校舎は、今も現役で子どもたちの学びを紡いでいます。
 平成2年(1990年)、創立90周年の年に整備した体育館ステージでは、学校生活の節目となる入学式や卒業式を厳かに挙行しています。
 平成12年(2000年)、創立100周年の年に造成された青空公園は、旧グラウンドの跡地に建ち、休み時間の子どもたちの心を弾ませ、散歩に訪れる地域の皆さんの心を和ませています。
 平成22年(2010年)、創立110周年記念誌「あおぞら」は、学校の歴史を学ぶ副読本として、今も子どもたちに読み親しまれています。

 そして令和2年(2020年)、創立120周年を迎えた年。
 建学の始まりを伝える「大森碑」は、今も児童限玄関の前に建ち、コロナ禍の世界をたくましくしなやかに生きる子どもたちの日々の成長を見守っています。


 日越小学校は教育村日越の伝統を礎に、「かしこく きよく たくましく」という質実剛健の精神を校風として、子どもたちの健やかな成長と、ふるさと日越の特色ある教育活動を推進してまいります。