校章の由来
校章の「かしわ」は長岡藩主牧野藩侯の紋所で,市民にもっとも親しみのもてるという判断から東中,北中と共通して用いることに決定しました。 「かしわ」と「雪の結晶」が組み合わされたデザインの中に「南中」の文字に入れることにしました。昭和28年以降は「南」の一時に変わりました。 バッジは当初は梅の模様の中に「南」の文字を入れたものであったが,昭和30年代半ばから,現代のものが用いられるようになりました。
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